魅惑的なプラチナ・ジュエリーの歴史

 

サンフランシスコにあるLang Antiquesのグレーディング&鑑別のエキスパート、ステラ・ターナー FGA DGAが、歴史的に由緒あるジュエリーと特別なコンテンポラリー・ジュエリーについてお話しします。ここでは、プラチナの歴史と1700年以降プラチナがジュエラー達にどのような影響を与えたのかについて探ります。

輝かしいプラチナ・ジュエリーは、電球の非溶融フィラメント、耐腐食性の容器、安価で成形できる義歯などの科学的な発見によって進化しました。1700年代にエクアドルの沖積鉱床から見つかった重くて白い金属は、「プラチナ」または小粒の銀と名付けられました。

この不思議な金属、小さな粒は、硬く着用できるジュエリーを作るのに圧延可能で鍛造可能(圧縮空気を吹き込むことによって成形される)であったものの、溶融することはできませんでした。そのため、初期の金属細工師達は小さな部品を接合するのに、溶けたゴールドを使用しました。しかし、プラチナは矛盾が多く、加工してもひびが入ることがよくありました。それは天然のプラチナが、6つの白金族金属の凝集体であるからです。

白金族金属のうちプラチナ、イリジウム、パラジウムの3つはジュエリーを作るのに使用され、ルテニウム、オスミウム、ロジウム(引っかき傷や変色を防ぐためのメッキに使用します)は主に工業用として使われます。これらは「腐食しない」金属、つまり非鉄で、化学的に非常に安定しており、酸による酸化と腐食に抵抗します。

これら3つの金属はそれぞれ異なる硬度、密度、曲げや成形のしやすさ(展性)、ワイヤーの作りやすさ(延性)、張力の下での壊れにくさ(抗張力)をもちます。一単位として鍛造または圧延すると、金属の寄せ集めは矛盾が生じてパッチワークのような固体になり、割れてしまいます。

1800年代の科学界では、様々な酸溶液と温度によって各金属を鑑別、区別していました。プラチナの凝集体を熱王水-硝酸と塩酸の混合した液体-に浸漬して、プラチナ成分を溶かしました。

一度沈殿させ、溶液から取り出して「スポンジ」で乾燥させると、純粋なプラチナは粉になりました。そして、冷たい圧縮と高温による加熱(焼結)で、加工可能な棒状の地金に鍛造しました。

Black Bowプラチナを付けたゴールドで作られたエドワード時代の黒いリボンのブローチ

焼結プロセスでは、互いに重なり合う原子が凹凸のあるエッジとなり、それが物理的に結合し、固体を形成するように混ざり、鍛造、圧延されて物体となります。

この「粉末冶金」が効率的なプロセスへと発展するのには、数十年がかかりました。しかしまだ、純粋なプラチナは軟らかく、簡単に「ひっかき傷をつくる」と考えられていました。一般的にプラチナの引っかき傷は、ほとんど、またはまったく金属の損失がない、圧縮によるへこみです。また、効率的にプラチナを溶融する方法がわかっていなかったため、ゴールドとプラチナの合金でパーツを接合しました。

応用可能な科学技術によって、プラチナの有用性が高まりました。1839年に、グッドイヤー(Goodyear)社が気密性のある高温・高圧のトーチ・ホースと、鋳造型に役立つ加硫ゴムを開発しました。

1850年代になると、ジョージ・マッセイとウィルヘルム・へレウスの酸水素吹管技術により、摂氏1,768度で多量のプラチナをようやく溶かすことができるようになりました。そして、1901年に発明された超高温酸素アセチレン・トーチは、さらに速い溶融を可能にしました。これらの器具と燃料は、安全で経済的、かつ直射的な熱い炎を発生させました。

強度を増すために作ったイリジウムとプラチナの合金で歯科技術が向上したこと、大量生産のためにロスト・ワックスによるキャスティング法が改良されたことは、ジュエリーにも上手く適合しました。5-10%のイリジウム-似た色の、明るい白色で、強く、加工できる、硬い(モース硬度は約6.5)金属-を添加した90-95%の純粋なプラチナは、磨耗に強い、白い金属を作りました。

すべてが白く見えるように、金属細工師達はプラチナとプラチナを接合する必要がありました。ロウ付け(しばしば、はんだ付けともいう)には、融点が低く、均一になるゴールド、シルバー、プラチナの充填物(はんだ)を使用しました。これは、ロウ付けするプラチナ部分を溶かすことなく、粒界に沿ってプラチナの中に広がるものです。

熱伝導率が高くないプラチナは、ジュエリー製作用のバーナーを当てた部分以外は冷たいままです。ジュエリーを無傷できれいな仕上がりに保つには、研磨したパーツの正確な組み立て工程が必要です。

一般的に「はんだ」はプラチナに比べると色、硬度、強度が異なり、軟らかいロウ目(はんだの継ぎ目)部分は縁を残してしまうので研磨のし過ぎに注意が必要です。この継ぎ目には、酸化によるグレーがかった色、またはゴールド(1)の黄色が見えることがあります。継ぎ目を最小限にし、色の違いできるだけ抑えるために、接合する両側の固体部分を鋸で引いておきます。

こうして、すべてプラチナでできたジュエリーが作れるようになりました。しかし唯一の問題は...需要がなかったことでした!

Three Loop Bowプラチナを付けたゴールドで製作した3つの環で構成されたエドワード時代のリボン・ブローチ 。 

1880年代に作られていたジュエリーの白い金属はシルバーでした。白い色、低い融点、供給の多さ、加工しやすさというシルバーの長所は、一方で変色しやすく、強度を増すために高価なゴールドの裏打ちを必要とするという短所に勝るものでした。ゴールドとシルバーは互いによく溶け、強く接着して、大量に新しく出回った南アフリカのダイヤモンドを安全に留めることができました。しかし、それは理想的ではありませんでした。

価値のあるダイヤモンドをしっかりとセットするためにシルバーの層は厚く重くなり、変色はダイヤモンドの見た目を暗くし、衣服を汚しました。

カルティエは、1890年当時に最先端だった、すべてがプラチナでできた贅沢なジュエリーをガーランド・スタイルという形で紹介しました。カルティエが作った秘密のプラチナ合金の表面は、白くちらちらとした光を示しました。『Cartier, Jewellers Extraordinary by Hans Nadelhoffer (1984)』によると、これは「ダイヤモンドの取り囲んだプラチナの縁に、光が反射し煌めくように点を打ったミルグレインでプラチナを『非金属化』することで」可能になったとしています。

イリジウムのプラチナは、カルティエの人気ある要素、つまり、軽いレースのような渦巻き装飾、花、リボン、ハートを手作りするのに必要な素晴らしい硬度と展性をもっていました。プラチナの強さは、軽く繊細な手作りを可能にし、ナイフ・エッジでできた透かし細工、ミルグレイン、繊細な爪、ビーズはピアーシング技法で洗練された模様にまとめられました。

薄いシャンクとほとんど見えないくらい小さな爪で石を互いに近くセットした素晴らしい細工は、ジュエリーを強く保つと同時に、見た目を軽く、重量も軽くしてダイヤモンドを引き立たせました。プラチナはその物理的特性により、ダイヤモンドを容易にしっかりと留めることができ、強い爪を一度倒すとその場所で固定することができました。-これはプラチナ加工による予期しない贈り物でした。

1800年代後期、イングランドのエドワード時代には、カルティエの軽くてごく薄い、女性らしいジュエリー・デザインが人気を博しました。強度を向上させ、ジュエリーにプレステージ性を加えるために、プラチナを焼結し、延ばし、あるいは既に存在したゴールドにシルバーを付ける技術を使用してゴールドの層にプラチナをロウ付けしました。

ゴールドとプラチナが接合する部分はどこも異なる膨張、濃度、温度、圧力、脆性、隙間があるため、結合が弱くなります。しかし、プラチナを付けたゴールド、ガーランド・スタイル、葉の飾り模様のついたジュエリーは、科学技術と小売商人の手腕により人気を博しました。この流行は、すべてがプラチナでできたジュエリーへと移行する1900年初めまで続きました。

そして、プラチナの需要が押し寄せてきました。流行、世界中のメディア、新しい南アフリカとカナダのプラチナ鉱山の発見が、アール・デコのモノクロで建築的なデザインを刺激しました。重要なヨーロピアン・ジュエリーはプラチナで製作され、プラチナ・ブローチの人気が高まり、「フィリグリー」と呼ばれるオープンワーク、空気のような軽さ、魅力的なデザインは北アメリカの市場を呼び覚ましました。この時、世界で大手のジュエリー製造業者はマスに向けた商品を供給したのです。

seams inside a die struck ring 2seams inside a die struck ring 4金型プレスで製作したプラチナ・ジュエリーの継ぎ目と目に見える接合部の例。

金型プレスされたプラチナのパーツは密度が33%増加し、金と比較して強さと耐久性が増すだけでなく、魅力的な高い光沢を生みました。プラチナの高いコスト(金より60%重いことから)は、薄く繊細なジュエリーの仕上がりで相殺されました。プラチナは溶かされ、鋳造され、手作業によって作られましたが、大量生産のための金型プレスも広く利用された技術でした。プラチナが主導権を握ったのです!

第一次、第二次世界大戦中の北アメリカでは、プラチナは、ライフルとエンジン部品、爆薬と兵器の製造に使われる戦略的な金属とみなされていました。ジュエリーへの使用は禁じられていたため、選択肢として他の金属が必要でした。戦争によってプラチナが欠乏したため、今まで見過ごされ、活用されていなかったホワイト・ゴールド(ゴールド、パラジウム、亜鉛)-1915年に特許を取得しました-を代わりに使用しました。

1920年、べライス(Belais)社は人気の18Kホワイト・ゴールドの特許権をとり、商標登録し、商標を付けて、大々的に広告しました。ホワイト・ゴールドは評判が良く、軽量なフィリグリー細工を施した金型プレスのジュエリーはプラチナで作るよりも安価であったため、生産が急速に拡大しました。第二次世界大戦が始まるまで、プラチナは世界中のハイエンド・ジュエリーの市場で主流でしたが、色石と小さなダイヤモンドをセットする場合、アメリカではホワイト・ゴールドが使用され、イギリスではイエロー・ゴールドが使用されました。

第二次世界大戦中の1942年、パラジウムはプラチナの代用品になりました。プラチナに比べより軽くて、硬く、白いとはいえ、戦後その需要は先細りになりました。1950年代までには、すべてがプラチナでできたジュエリーが戻ってきました。

前世紀のジュエリーや宝物を今日私たちが見ることができるのは、プラチナが恒久的な特性をもつからです。プラチナ金属は超新星爆発で生じ、核融合で形成され、地球を作った雲に分散しました。今、あなたが見ているその指にはめられたリングは、ビッグバンによってつくられた物質なのです。

謝辞:貴金属管理会社、ジョンソン・マッセイは、その創設者の実験と経験に基づき、プラチナについて最も包括的な現代と歴史の記事を書き、編集してウェブ上及び書籍の中でその知識を丁寧に、自由にシェアしました。私は、絶えず感謝しています。ご要望がありましたら、すべての参考文献を送ります。写真提供:著者とLang Antiques

この記事は、Gems&Jewellery Summer 2018/ Volume 27/ No.2  に掲載されたものです。

表紙: シルバーを付けたゴールドに、ピンク・ダイヤモンドをセットした1800年代中期(左)のネックレスと、すべてプラチナでできた金属部分にエメラルドとダイヤモンドをセットしたブローチ。  

 

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